古事記と日本書紀 (講談社現代新書)

「記紀神話」とひとくくりにされる『古事記』と『日本書紀』であるが、著者は二つの神話は世界観をまったく異にするという。『古事記』は、世界の万物・事象が高天原のタカムスビ、カミムスビの二神――生成の根源的霊力である天つ神の働きによって生じるとする。地上世界である葦原中つ国は、天つ神の掌握・関与によって成立する世界である。天つ神の系譜に連なるイザナギはアマテラスに高天原の統治を委任する。天岩戸神話は、アマテラスが高天原と葦原中つ国の世界秩序を担うことを表している。アマテラスの直系である天皇が中つ国を統治するのは、この世界観によって揺るぎなく正当化される。『日本書紀』の世界観は、中国からもたらされた陰陽の運動を原理とする世界生成が基本である。陽神であるイザナギと陰神であるイザナミが創った世界が二神から離れて、陰陽のそれ自体の活動において展開していく。アマテラスは日神としてその世界秩序を構成するにとどまる。天降った神はニニギだけではなくニギハヤヒなどもいて、天降ったというだけでは、中つ国の支配は正当化されない。カムヤマトイワレヒコ（神武天皇）の東征の勝利が、天皇の地上支配をもたらしたものとして描かれる。倭は１世紀から５世紀まで中国の冊封体制のもとにあった。７世紀になると「日本」という帝国的世界を創り、中国とは「隣国」の関係に立とうとする。それを歴史的に根拠づけるのが、『古事記』、『日本書紀』であった。この二書に限らず、この時代は他の世界観を持つ神話が存在する。『万葉集』の人麻呂挽歌は天武天皇を始神とする神話を伴う。律令祭祀は『記』と『紀』の神話に対応せず、祭祀自体で体系化された意味を持ち、天皇はその統括者として「正当性」を取得する。このような多元的な天皇神話が一元化の途をたどるようになったのは、９世紀以降である。『古語拾遺』では、忌部氏が自ら関わる祭祀の根拠を『日本書紀』の中の記述を以て示すことで、『日本書紀』を祭儀神話化していく。『先代旧事本紀』は、ニギハヤヒをニニギの兄とすることで系譜的に統合する。また「日本紀講」での解釈とテキストの作り直しを通して、『日本書紀』は陰陽の世界像が抜き去られ、『古事記』と融通しながら「もともとあった物語」という一つの神話に置き換えられる。こうして出来上がった一つの「記紀神話」の呪縛は、政治的な拘束を解かれた戦後にあってもアカデミズムを支配し、次々に生まれる学説がまた「記紀神話」という神話を再生産してきたという。本書の主張の妥当性を判断する力は筆者にはないが、このテーマについて新たな扉を開くようなスリリングな読書体験であった。